東京大学物語を久しぶりに全巻読了しました。20年近く前に完結しているマンガです。
以前読んだときと違う感想を持ったので、ここに記しておきます。
オチ
通して最後まで読むと、どうしても感想はオチの部分に来ると思います。昔は私も「なんてオチだ!」ってがっかりしたような覚えがあります。
しかし今回はオチを知っていたので、そんなことは思いませんでした。当たり前です。
それより、これは「作者のことなんだよな」って気持ちになりました。
私も創作をすることがあり、妄想を巡らせることもしばしばあります。巡らせると言うか、突然降って湧いてくるように想像が進んでいくのですが。
先日も障害者と差別、公的な補助や税金の使い方、障害は個性、なんてことについて考えてたら、「顔面ブサイクで恋愛はおろか日常生活でも不利益を被る人は社会的な支援が必要なのかもしれない。そしたらコミュニケーションを取るのが苦手な人だって、そこに対して社会が支援をしなくてはならない。それぞれが個性であり、その人が持って生まれたもの。それが今の障害ならば年金や税金での支援もあるが、ただ生きにくい個性を持っている人は見過ごされても支援も受けられず、人生をハードモードで進めていくしかない。障害者や弱者を支援するのが近代社会の礎にあるべきなら、このような人たちもありのままの自分で楽に生きられるように支援するのが本来なのではなかろう。じゃあ財源はどうするか。それはやはり逆に得しているイケメン・美人が支払うべきだ。ただ顔面が人より優れていると言うだけで、人生がイージーモードになっているというのは不公平じゃないか。いやいや、美人だって損したり困ったことがあるんですよ、っていう輩もいるだろうが、それなら美容整形でブサイクに整形する人がいない事実をどう説明するのだ。本当に美人が不利益ならば、もっと整形で美人をやめるという選択肢を取る人がいいはずじゃないか。やはり美人は一般的に得をしているんだ。だいたいどの界隈だって、顔がいい者のほうが成功している。役者、歌手はおろか、政治家だって顔がいいほうが成功している。もちろん顔が全てではないが、顔がいいのが有利に働く部分が往々にしてある。だいたい顔がいいからあなたは余分に税金を払ってくださいと言われても、内心嫌な気持ちはしてないんじゃないか。嫌ねーとか言いながら、本当は喜んでいそうだ。しかし美人の判定はどうする。主観が働いて認定するのに困難を極めるぞ。逆に美人認定されなくて文句を言う人間すらでてきそうだ。やはりここはデータベースをもとにAIでビッグデータ分析を進めるのが王道か。外国人の美意識は日本人と違うかもしれないな。まあいいや、今は日本の税制を考えているから、とりあえず日本人が美人と思うかどうかで決めよう。化粧はどうする。本来はブサイクなのに、化粧で美人になっている人はいるぞ。素顔で判定したら脱税みたいな形になるな。おや、ここまで設定を進めていったらこのネタで小説が一つかけそうだな。タイトルは美人税か。あれ、昔なんか同じタイトルの短編を見たことある気がするな。内容は知らないけど。これを出したところで2番煎じですねって言われそうだな。せっかく自分で最初から考えたのに。だいたい自分は昔から何もないとこから考えるのが得意なんだよな。中学生の頃数学の勉強とか全然してなくて、問題見て自分で独自に解き方をゼロから編み出したこととか何度もあったな。いわゆるプログラマーの世界で言う車輪の発明ってやつだ。すごい苦労して、今さら車輪なんていう便利なものを発明したところで、すでに広く使われてるのがあるからそれを応用したほうがいいてやつだ。もし自分が昔に生まれてたら、天才として世に残る発見とかできたのかもしれないな(この間15秒)」みたいになりました。
小説のネタって自分はだいたいこんな感じなんです。どどどどって思考の波が押し寄せてきて、設定とかオチが降って湧いてきて、あとはそれを描写しながら、細かいところを補完して完成します。
東京大学物語も、結局は作者の思考ということなんですよ。つまるところ他の話だってそうなんです。ドラゴンボールも鬼滅の刃も、ロミオとジュリエットも源氏物語も、結局作者が妄想した世界なんです。それをあえて書いてしまったのが東京大学物語なんです。
なので私が今回東京大学物語を読んで持った感想は「共感」でした。すごく、よく、わかります、と言いたかった。
人間の脳が作る世界
人間の脳というものはものすごい情報量とそれを処理する能力を持っています。それはみんな知っています。でも俺の脳ってそんなにすごくないよって言う人がいるかも知れません。じゃあすごくないんでしょう。ここでは一部のすごい人の場合に置き換えてみます。
例えば私の好きな漫画の一つに進撃の巨人というものがあります。独特な世界観をもった作品です。ということは、作者の諫山創さんの脳内には、あれと同じだけの世界、いやきっと描写しきれてないこともたくさんあるのでしょうから、あれより広い世界が存在しているのです。
米津玄師のようにいろんなジャンルの名曲を作る人がいます。あの人の頭の中に生まれた世界なのです。それを音楽として表現しているのです。
それに気づけば、彫刻や絵画などの美術品も、誰かの頭の中で作った世界ということがわかるでしょう。私はそれから美術を眺めたりするのも大好きになりました。
そう考えると、すごい世界を頭の中に生み出しながら、表現する手法や技術を持ってない人もたくさんいると思います。世界を表現するのは技術です。技術的に拙く、または発表する場がなく。しかし本当は素晴らしいものが頭に浮かんでいる人もいるのでしょう。もったいないことです。
集合知としての表現
例えばビルなどの建造物。仏閣とかもいいですね。高速道路とかも同じようにすごい。誰かが想像した世界を、多くの人が技術を結集し表現している社会。すごいですよね。
身の回りにある品物だって全部そう。誰かが考え、誰かが製造してくれている。その恩恵を私は受けている。
人は一人で生きていけないと言いますが、まさしくそう。誰かのおかげで私は今の生活をしています。誰かがすべて頭の中で考えたことです。
自然はすごい
旅行好きな若い女性(世界各地に行くのが趣味)に、中年の上司(キャンプとか好き)が「人が作った観光地なんかより、自然のほうが感動するな」って言いました。それを聞いた若い女性が発した言葉が「自然がすごいのなんて当たり前じゃないですか」でした。
ズドーンと私の胸に突き刺さりましたね。
その女性、そんなに言葉に表現力もなく、語彙が豊富とも言えない人なんですが、ブルーハーツの歌詞のようにシンプルにストレートに私の胸を貫きました。
そうなんですよ。私が常々思っていた事です。自然っていうのは言い換えれば宇宙なんですよ。無限の力を持っています。そこにいる本来ちっぽけな人間が、現代社会を作り、街並みを作っているというこの素晴らしさ。
価値観の持ち方は人それぞれです。中年の上司の言いたいこともわかりますし。だけど私は人間が考えた世界っていうのがすごくいいと思います。
すごい人が考えた世界ってすごい。