2020年8月29日土曜日

蚊に血を吸われて思ったこと(2020年日本の夏)

今朝、腕を蚊に食われました。

エアコンもつけずに窓を開放した自宅で、スマホにイヤホンをしながらyoutubeを鑑賞していました。特に熱心に見入っているわけでもなく、暑さを感じながらぼうっとした感じで眺めていました。

ふと左腕を見ると蚊が止まっています。

反射、というやつでしょうか。

考えるより早く、右腕が左腕を叩きました。ぴしゃり!という音ともに、ちいさな緋色のしずくが放射状に伸びました。

扇風機の音だけがかすかに聞こえます。セミの鳴き声も聞こえません。

この世界で私だけが、あの蚊の生涯が終わったことを認識しました。

まるで何もなかったかのように、この世界は今日もまた、新しい1日を始めようとしていました。

なんで人間を狙うのだろう

なんで人間を狙うのでしょうか。人間という動物は、動物界の頂点に君臨するぐらいの手先の器用さを持っています。(残念ながら、私は人間界の底辺に所属するぐらいの不器用さですが。)

人間の血を吸うばかりに、文字通り人間の手によって叩き潰されてしまいます。人間の手は全身どこでも届きますし。

もっとウシや馬の血を吸いに行けば、しっぽで追いやられるぐらいで済むと思うのです。

牛や馬がいない。まあそうですね。私が無知なだけで、牛や馬が多い地域では蚊は牛や馬の血を吸っているのかもしれません。

それでも犬や猫を狙えば良さそうだと思うのです。

成功体験

理由の一つとして考えられるのは、成功体験と敗者退場の理論です。敗者退場の理論は私の造語です。

蚊は代々、人間の血を吸ってきました。徳川綱吉が生類憐れみの令で、蚊を殺したものを処分した話が、マンガ「日本の歴史」に載っていたのを覚えています。少なくとも、江戸時代には血を吸っていたことになります。(当然、もっと以前より吸っていたと考えられるが、私の頭の中での正式な記録がそれと言うだけの話。)

すると、蚊の中には人間の血を吸って生還できるものもいるというわけです。

その蚊は「人間はちょろいぜ。血を吸っても気づきやしない」という話を、仲間内で得意満面で話すことでしょう。ひょっとすると、お母さんが子どもたちに「お腹が空いたら人間の血を吸えばいいのよ」って教えるかもしれません。

それを間に受けた蚊たちは、続々と人間の血を吸いに来ているのでしょう。

そこで敗者退場の理論です。

血を吸うのに失敗して叩き潰された蚊は、その失敗談を広めることができません。失敗イコール死だからです。

叩き潰される瞬間、「こんなはずじゃなかった・・・ぐふっ!」って、あの得意満面に話した蚊の顔を思いながら逝くのでしょう。あるいは、生涯の幕を閉じる瞬間、お母さんに疑念を抱くという最悪のシナリオになっているかもしれません。

そこで私達人間ができることとして、蚊を即死させずに生還させるという方法が考えられます。

半殺し状態や、身体に障害を残す程度に痛めつけて野に放てば、「人間を狙うのはよしたほうがいい」という意識を蚊に刷り込められるかもしれません。

それを全国津々浦々、何十年、何百年も続ければ、いずれ蚊は人間の血を吸いに来なくなるかもしれません。

ドラクエ2のオープニングのように、傷ついた兵士が蚊の王に対策を進言したところで息絶えれば、国中総出で人間襲撃禁止令が発令されるかもしれません。ん、蚊の王って言うとベルゼブブが来る気がしてきました。ちょっと怖いです。

甘美

あるいは蚊は人間が危険なことを当然知っているのかもしれません。が、命を賭す以上に人間の血が魅力的なのかもしれません。

欲望というのは、禁忌を破るほど甘美と言われます。

ダイエット中に甘いものを食べたり、覗くなと言われても機織りしているところを覗いたり、開けるなと言われた玉手箱を開けたり。

やってはいけないことをすると、人間は幸福感を感じられるようになっているということがまとめられている書いてある本を読んだことがあります。なるほど、と思ったものですが、蚊も同じなのかもしれません。

命がけで吸う血。

それが最後の晩餐だとしても、それはそれは蚊の満足感を満たしてくれるのかもしれません。

それなら私が潰した蚊も、死ぬ瞬間に絶頂を迎えられたことになります。それならあの蚊の、満足そうな亡き骸にも納得がいきます。

番外編

吸おうと思った瞬間に叩き潰される蚊は悲惨。

補足

蚊は普段植物の汁を吸って生きていて、交尾後のメスのみ動物の血を吸って産卵に備えます。